小説「ファンレター」

 これは文房具屋でレターセットを選びながら気づいたことなのだけれど、僕は人に手紙を書いたことがないらしい。驚いた。もしかしたら僕の覚えていない、遠い過去で誰かに手紙を書いたことならあるのかもしれないけれど、覚えていない、ということはない、ということとほとんど変わらないだろう。長々と前置きをしたけれど、なにが言いたいかというと、要するに慣れていないところもあるだろうが、大目に見てほしい、ということなんだ。
 しかし驚いたな。どうやら僕は柄にもなく緊張しているようだ。ここまで書いて、ようやくその自覚が芽生えたよ。緊張。もう三百年近く味わっていない感情だ。生娘みたいだな。
 三百年、という数字を見て、貴方はさぞタチの悪い冗談、もしくは気合の入ったごっこ遊びだと思ったことだろう。それこそ、貴方が作り出す物語のような。けれど残念ながら本当の話なんだ、これは。残念かどうかは、貴方が決めることかもしれないけれどね。

 申し遅れたけれど、僕は吸血鬼なんだ。数えるのはずいぶん昔にやめてしまったけれど、ざっと五百年は生きている。

 勘違いされては困るので最初に言っておくと、僕はべつに、ところかまわず人間を襲って血を吸うような、獰猛な生き物じゃない。数百年前にはそういうやつらもいたみたいだけれどね。僕はそんな真似はしない。血を吸わなくても死ぬことはないしね。
 ただ、血を吸えるに越したことはない。そういうわけで僕は定期的に人間に近づいて、親しくなり、身分を明かしてはちょっとずつ血をいただいていたんだ。もちろん、それ以上のことはしない。友人、あるいは恋人としての付き合いの中に、少し一般的ではない要素が混じる。そのくらいのことなんだと思ってほしい。ビジネスライク、ってやつだよ。いや、少し違うのかな? 言葉を適切に使うっていうのは難しいな。つくづく、貴方の偉大さを実感するよ。
 貴方の小説は、そのビジネスライクな友人のうちのひとりの部屋に置いてあったんだ。清潔な枕元に、ぽつんと一冊だけ。本なんか読むような男じゃなかったから、今考えればあれは不思議なことだったな。人からもらったのか、酔った勢いで買ったのか。もしくは、僕があの小説と出会うように、神様が差し向けたのか。冗談みたいな話だけれど、この世の中にはたまにそういうことがあったりするんだ。
 なにはともあれ、僕は彼の部屋でその本を読んだ。彼は仕事に行ってしまっていたから、僕ひとりで。日が落ちるまで時間をつぶさなきゃいけなかったからね。吸血鬼に日光は大敵なんだ。

 その日の遅くに帰宅した家主はたいそう驚いていたよ。無理もない。いつも日が落ちたら、家主が帰ってくるよりも前に家を出ているような人間が、日が落ちてすっかり夜になっても家にいるんだから。「おまえ、まだいたのか」とかなんとか言っていた気がする。あまり覚えていないけれど。なぜなら僕の頭の中はそのときすでに、貴方の小説のことでいっぱいだったからね。
 帰ってきた彼に、僕は飢えた獣みたく飛びついて聞いたよ。「この人の、これ以外の話はないのか」って。彼は困惑しながら、インターネットで貴方のことを調べて、いくつかの作品をメモして渡してくれた。
 それが、貴方の小説と、貴方との出会いだった。

 貴方の書いたものはぜんぶ読んだよ。ぜんぶ。文字通り、すべて、ということだ。単行本はもちろん、雑誌に掲載されている短編も、貴方が答えたインタビューも、貴方にまつわる文章のすべてを読んだ。すべて素晴らしかった。貴方の書くものは人の孤独に寄り添って、さみしさに共鳴して、やさしさを差し出して、痛みを包み込む。そういう小説を、僕は初めて読んだ。今までも、小説や漫画や映画や音楽を嗜んでこなかったわけじゃないんだ。長く生きていると、そういうものと友達になることが不可欠になってくるからね。だけど貴方の小説は、僕が今まで触れてきたなにもかもと、明確に違っていた。特別だった。陳腐な言葉でしか言えないことが歯がゆくなるくらい、本当に、特別だったんだ。貴方が書くものすべてが、光輝いて見えた。五百年間生きてきて、こんなことを思うのは初めてだった。

 そうして三年が経った。三年なんて、僕の人生からすればおそろしく短い時間だ。けれどこの三年は別だった。貴方の小説が出るのをひたすら待って、発売日になれば書店に駆け込んで、寄り道もせずに家に帰って、読んで、読んで、読んで。何度も繰り返し、読んで。貴方の中にある世界を思い浮かべては眠りについて、起きてまた読んで、次の小説が出るのを待って。そんな日々を送っている。貴方と出会ってから、僕はずっと満ち足りた気持ちでいる。まるで、夢でも見ているみたいに。

 手紙を書こう、と思ったのは、貴方の小説を買いに書店に立ち寄ったときのことだった。僕のよく行く書店は最近になって文房具の取り扱いも始めたみたいで、入り口のすぐ近くにはいくつかのレターセットが並んでいたんだ。大切な人に手紙を送ってみませんか、とそこには書かれていた。大切な人。家族とか恋人とか、一般的にはそういう間柄の人間のことを指すんだろう。けれど僕にとって、大切な人とは貴方以外にほかならなかった。
 気づけば僕は、貴方の小説と一緒に、小さな花柄のレターセットを持って、レジに並んでいた。それが今、僕が筆を走らせているこの便箋というわけだ。

 ずいぶんと長々、僕の話をしてしまったね。本当はこんなに自分の話を書くつもりじゃなかったんだ。なんなら、僕が吸血鬼であることすら書くつもりじゃなかった。それは不必要な情報だと思っていたから。
 けれど、貴方の小説を読んで感じたこと、高揚、幸福、その他すべての貴方がくれた感情を、あますところなく伝えるために、僕は僕の話をするのが適切であるとも思った。
 本当のところ、どうするのが正解なのかはわからないけれどね。五百年生きてもまだわからないことがあるなんて、思ってもみなかったよ。

 あんまり長くても貴方のことを困らせてしまうだけだと思うから、そろそろ筆を置こうと思うよ。ただの吸血鬼の話を、ここまで読んでくれてありがとう。そして、小説を書いてくれてありがとう。さっきも似たようなことを書いたけれど、文章を書くっていうのは難しいね。なかなか貴方のようにはいかないな。

 最後にひとつだけ。
 貴方はきっと、いや、必ず、僕よりも先に死ぬ。これは不吉な予言なんかじゃなくて、僕が軽く千年は生きる吸血鬼という種族である以上は、覆しようのない事実なんだ。貴方だけじゃない。僕が今かかわっているすべての人たちは、僕よりも先に死ぬ。今までもずっとそうだったから、僕はそのことを特別さみしいとか悲しいとか思ったことはなかった。あまりにも当たり前のことだったからね。 
 だけどきっと、貴方は違う。貴方を喪失するときの痛みは、きっと僕がそれから生きるすべての時間につきまとうんだろう。きっと僕は深く傷つく。時には自棄になったり、時には眠れない夜を過ごしたりするかもしれない。貴方が書いてきた物語の主人公たちのように。
 けれど、それを救ってくれるのもまた、貴方が書いた物語なんだ。
 貴方の物語は、そういう物語だから。

 それじゃあ、これで本当に終わりにするよ。本当に、貴方と出会えてよかった。これからも、貴方の小説が読めることを心から願っているよ。
 体に気をつけて、僕よりも長く生きてくれよ。
 なんてね。


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